『令和3年版 将棋年鑑 2021』の全棋士の紹介欄の中には
「将棋を勝つうえで必要な努力と才能の比率は?」
という質問があります。

子供の頃から将棋一筋で
厳しい競争社会を勝ち抜いたプロ棋士たちが
努力と才能の比率をどのように捉えているか非常に興味がありますね。

一般的には努力の比率を多くしていると想像できますが、
実際には棋士によってその比率は様々で、
「努力が100%」という人もいれば、
「99%は才能」と答えている人もいて結構面白いです。

現在、日本の将棋人口は500万人くらいいるそうですが、
プロ棋士というのはその中の頂点に立つ人たちで、
まず、当たり前の前提として、
努力も才能も人一倍持っている集団です。

その中で勝ち負けを競っているわけですから、
非常に厳しい世界です。

なので、
ほんのちょっとの努力の差
ほんのちょっとの才能の差
が勝敗を分かつこともあります。

若くして将棋界のトップに立った藤井聡太五冠ですが、
彼がここまで上り詰めたのは
努力のお陰でしょうか?才能のお陰でしょうか?

他人の私には到底分かるはずもないですが、
おそらく、努力も才能もどちらも”異次元“でしょう。

もはやこのレベルになると、
努力とか才能とか、その比率を考える事すら無意味です。

以前、藤井聡太五冠が詰将棋を解いているところを
YouTubeで観たんですがビックリしました。

問題の盤面を見てから僅か20秒程度で
41手の詰将棋を解いてしまったんです。

頭の中だけで、41回も駒を動かして、
相手の玉を詰ますことができるなんて。。。

まさしく異次元で、
同席していた他のプロ棋士も笑うしかありませんでした。
shogi22030201

各人の経験によって努力と才能の比率は異なってくる

努力の比率を多くするか、才能の比率を多くするか、
それはその人の経験、体験にもよるでしょう。

どの分野の仕事、スポーツでも言えることかもしれませんが、
自分自身が努力をたくさん積み重ねて一流になれたと自覚している場合、
その人は努力の比率を多くするでしょう。

しかし、
自分自身が努力をたくさん積み重ねたにも関わらず、
どうしても抜かすことができない相手(ライバル)がいた場合、
その人は才能の比率を多くするでしょう。

また、
自分の才能に溺れ、努力を怠った結果、最終的に低迷した場合、
その人は努力の比率を多くするでしょう。

さらに、
自分の才能が他人と明らかに異なっていて、
それにより一流になれたと自覚している場合、
その人は才能の比率を多くするでしょう。

人間は自分ひとりの人生しか歩むことができないので、
自分ひとりの経験から判断せざるを得ないわけです。

その経験と照らし合わせて、
努力と才能の比率を考えます。

例えば、将棋においても、
自分が努力を積み重ねた結果、タイトルを取れたと自覚しているなら
その人は
「努力が実を結んだ」
と思い、努力の比率を多くするでしょう。

しかし、藤井聡太五冠と対戦して、
自分が思いつかないような感性溢れる素晴らしい手を指されて負けた場合、
その人は
「やはり将棋は才能が重要なんだ」
と思い、才能の比率を多くするでしょう。

前置きが長くなってしまいましたが、
それでは、トレーダーとして成功するためには、
努力と才能、どちらが重要なんでしょうか?

そして、それらの比率はどのくらいなんでしょうか?

あくまでも私ひとりの経験からの判断ですが、、、

(”努力を続けられること” それ自体を才能と呼ぶのなら、
 もちろん才能は必須条件、100%才能となりますが、
 継続的な努力を才能に含めてしまうと
 今回の議論が成り立ちませんので、そのような見解は除きます)
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努力×才能×環境=結果

個人的には、結果を出すには以下の公式が成り立つと思っています。

努力×才能×環境=結果

  • どれだけの努力をしたか
  • 持って生まれた才能がどのくらいなのか
  • 生まれ育った環境が適しているか

これらの掛け算で結果が出ると思っています。

例えば、
藤井聡太五冠が将棋に対して努力0だったら、
タイトルどころかプロ棋士にもなれず、
結果0に終わっていたでしょう。
溢れ出る才能が無駄になったはずです。

例えば、
イチローが野球に対して才能0だったら、
メジャーリーガーどころかプロ野球選手にもなれず
結果0に終わっていたでしょう。
そもそも才能0だったらイチローではありませんが。

例えば、
松本人志氏の家庭が全く漫才を見せない環境0のもとで育ったら、
彼は漫才どころかテレビにも出れず、
結果0に終わっていたでしょう。
漫才に対する才能が埋もれたままになっていたはずです。

各分野のトップに立つような人は、
その分野に対しての努力ができ、
その分野に対しての才能があり、
その分野に対して寛容な家庭環境があったお陰で、
一流になれたわけです。

もちろん、一流になった人の中には、
これら3つの条件のうち、
自分に欠けているものがあった人もいるでしょう。

ですが、その場合は、
他の条件をより頑張っているはずです。

一流になるために
努力10×才能10×環境10=結果1000
が必要にも関わらず、
自分の才能が5しかない場合は、
努力20×才能5×環境10=結果1000
にすることで同じ結果を得ることができます。
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つまり、各分野のトップに立つためには、
努力、才能、環境の相乗効果が必要になるわけですが、
幸運にも私達トレーダーは、
このFX業界のトップになる必要はありません。

一流になる必要もないですし、
人並外れた発想力を持つ必要もありません。

ただ、期待値>1の結果を残せば良いだけです。

そのために必要な努力と才能と環境の比率は、
努力:才能:環境=7:1:2
だと個人的には思っています。

あくまでも私の経験からですが、
継続的な努力をしていれば何とかなると思っています。

才能とか環境とかは重要視していなくて、
それどころか、
「自分には才能が無いから」とか
「トレードできる環境でないから」とか
言い訳作りに利用されてしまう危険性があるので、
才能や環境には重きを置かないようにしています。

実際、トレードにおける才能ってなんでしょう?

トレンドの発生を予知したり、
トレンドの天底を当てられるのが才能と呼ぶべきものでしょうか?

まぁ、そのような才能があれば嬉しいですが、
損切りと利大を忠実に実行していれば才能が無くても
期待値>1は実現できます。

また、トレードできない環境ならば、
トレードできる環境に変えたり、
僅かな隙間時間を利用して勉強することもできますね。

普通の人が持ち得ている才能と環境であれば、
トレードで勝つためには十分で、
あとは努力だけを継続していけば良い、
というのが個人的な意見です。

私達トレーダーは誰かと競っているわけではなく
誰かと勝ち負けを争っているわけでもありません。

相手がいれば、
その人の才能や環境を羨むこともあるかもしれませんが、
幸運にもトレードには対戦相手はいません。

見るべきは自分自身だけなので、
自分の努力だけに集中すべきですね。