レートが自分の思惑と反対方向へ進んでしまった場合、
よく「ダマされた」と表現しますが、
これってどうなんでしょうか?
何に対してダマされたんでしょうか?
チャートの向こう側に誰か特定の人がいて、
その人が私たちのエントリーを覗き見て、
その反対側へわざと仕掛けて、
その特定の人たちだけが利益を得ている、というような
「特定の人物にダマされた」という、
被害者意識を持ってしまっているんでしょうか?
為替市場の実態というか、規模というか、
いったいどの程度の金額を投入すれば
自分の思いのままのレートへ、
上げたり下げたりすることができるのかは、
私には分かりませんが、
そうした特定の人物を意識しても意味がないと思います。
普通に考えたら、レートの動きとは、
市場参加者の意識の集合体、と捉える事ができるはずです。
そうした意識の集合体と自分の思惑がずれてしまった状態を
「ダマされた」と表現するのは、おかしいですよね。
相場で利益を上げるには、その時その時の多数派につくこと。
多数派の意識に自分を合わせること、とも言えます。
ですので、あえて表現するなら
やっぱり「ダマされた」ではなくて「ズレた」、という方が
合ってるような気がするんですがどうでしょう?
と言いつつ、今後も慣習的に、「ダマされた」という表現は使いますけどね。