あるトレードで負けたとしましょう。
真面目なトレーダーなら、その時のトレード記録をきちんと残しておき、
エントリーのタイミングは悪くなかったか
損切位置は正しかったのか、
大きい時間足の優位性はあったのか、
通貨の力関係は把握できていたのか、
支持線や抵抗線の存在に気づいていたのか、
などなど、損切りとなった原因を追究するでしょう。
当然といえば当然ですよね。
損切りとなった原因を探し出して修正改善し、
次回以降のトレードに活かしていく事で成績の向上が見込めるわけですから。
特にFX初心者の頃で、まだ自分の手法のルールが明確に確立されていない時には、
デモトレードなどを繰り返しながら、ルールの改善を図っていくので、
損切りとなったトレードの、負けた原因を探る作業は誰もがやっているでしょう。
しかし、ここで勘違いしてはいけない事があります。
それは、、、
損切りトレードには必ずしも負けた原因があるわけではない
という事です。
損切りトレードというと、
どうしても「失敗トレード」というイメージがありますので、
失敗トレード⇒自分が悪い⇒自分に原因がある⇒自分を改善させる
という連想になりがちです。
特に、FXに真面目に向き合い、勉強熱心な人ほどこうした傾向にあり、
ひとつひとつのトレードの負けた原因を全て見つけ出さないと気が済まない
という人もいるのではないでしょうか。
かくいう私がそういう性格でした。
確かに、ルールが確立されていない時には、
上記のような発想で改善を図っていくのですが、
ある程度ルールが固まって以降は、
損切りとなったその原因が分からない、という事は頻繁に起きてきます。
損切りとなる原因には、
自分の作ったルールの未熟さ
自分の内なるマインドの未熟さ
などの内的原因と
自分以外のトレーダーの都合による外的原因
の2つに分かれます。
内的原因が改善され、期待値がプラスになって以降の損切りトレードに関しては
上記の外的原因が多分に含まれています。
外的原因、つまり自分以外のトレーダーの思考、思惑、そして集団心理が
自分がエントリーした後にどのように変遷していくかなんて誰にも分かりませんし、
それを突き止める手段も持ち合わせていません。
指標発表直後に上げたり下げたりすれば、その原因は明らかですが、
通常の何もない時の上げ下げについて、原因を追究し、
あれこれ詮索してみる事にほとんど意味はないです。
確率的思考でトレードに臨んでいるか?
トレードのルールというものは、確率的な優位性を表現しています。
そして、トレーダーは確率的に優位な方向へ仕掛けているだけです。
つまり極端な事を言えば、
検証の結果、確率的に優位であると分かってしまえば、
勝った負けたの原因については全く無視しても良いことになります。
例えば、トランプには、数字のカードと絵札のカードがあります。
数字のカードは1~10までで合計40枚、
絵札のカードは11~13までで合計12枚、
全部で52枚ありますね。
では、
「トランプ52枚を全て伏せておいて、その中から数字のカードをめくったら勝ち」
というルールのゲームをしましょう。
確率的には10/13となり、優位性のあるルールですね。
今あなたが52枚のトランプの中から一枚引きました。
めくってみると、、、何と!スペードのキングで絵札でした!
残念ですが、あなたの負けです。
さて、、、この時にあなたはどういう心境になるでしょうか?
「こういう事もあるよね」
「運が悪かった」
と思うのではないでしょうか。
まさか、絵札を引いてしまった原因をトコトン追究するなんて事はしないはずです。
時には確率的に低い絵札を引くことだってあります。
そこには原因も意味もありません。
“たまたま” です。
トレードでも同じような事が言えます。
期待値がプラスのルールを構築し、
ルール通りに分析し、
ルール通りにシナリオを描き、
ルール通りにエントリーしても、
負ける事はあります。
外的原因を追究できない私たちにとっては、
負けた結果というのは、”たまたま“でしかありません。
私達がしている事は、
「トランプ52枚を全て伏せておいて、その中から数字のカードをめくったら勝ち」
というゲームをしている事と何ら変わりません。
いつ勝つか、いつ負けるか、は分かるはずもなく、
確率的に優位なトレードを淡々と繰り返しているだけです。
そして、ここで混同してはいけないのが、
「ルール作りの思考」と「ルール執行の思考」は全く別物だという事です。
ルール作りの段階では、
負けた原因を追究し、手法の優位性を高める努力は当然必要となりますが、
ルール執行の段階では、
負けた原因など関係なく、確率的思考に切り替えて
淡々とトレードを繰り返す必要があります。
トレーダーは、
「トランプ52枚を全て伏せておいて、その中から数字のカードをめくったら勝ち」
このような優位性のあるルールを構築する努力が必要
と同時に
このような優位性のあるルールを確率的思考で繰り返す努力も必要
という事です。