トレードに勝つためにメンタルを鍛えろ!!

確かにその通りです。
私も同意します。

しかし、何というか、
言葉のニュアンスが違っているような気が。。。

メンタルを鍛える“という表現だと、
お寺の住職さんがするような
座禅を組んで精神を集中させたり、
滝に打たれて強い心を作るみたいな
何か修業的なイメージを持つ人もいるかもしれませんが、
トレードにおけるメンタルの鍛え方って
そういうものとは系統が異なります。
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トレードという行為は日常の一コマに過ぎない

トレーダーは心を持たないアンドロイドになる必要はありません。

何の感情も持たずに常にフラットで
無の状態でチャートに向き合う必要もありません。

普段の生活では、仕事や家庭で様々な人間に出会いますし、
テレビなどのメディアなどの情報を得たりすることで
いろんな感情、喜怒哀楽を経験するでしょう。

良い出来事に出会えば、嬉しかったり楽しかったりするでしょうし、
嫌な出来事に出会えば、悲しかったり怒ったりもするでしょう。

それが普通の人間です。

にも関わらず、
トレードだけは無の境地で、
0(ゼロ)の感情でチャートと向き合うなんて無理ですね。

トレードで勝ったり負けたりすることは
何も特別なことではなく日常の一コマに過ぎません。

トレードという行為を特別視する必要はありません。
重要イベントでも何でもないです。

トレード時も普段の生活と同じような心の振幅になっていれば良いんです。

もしも日常生活において、
心の振幅の最大値がトレードになってしまうと、
日常の関心事がそれこそトレードになってしまうので、
トレードの事ばかりを考えるようになり
それでストレスが溜まり、
日常の生活に支障をきたすことにもなりかねません。

勝っても負けても、
その日の心の振幅の最大値以下に収まっていれば良いんです。

例えば、心の振幅を
+100(嬉しいこと)~-100(悲しいこと)
までの幅があるとしましょう。

日々、いろんな出来事があります。

美味しいラーメン店を見つけた(+50)
上司に叱られた(-60)
突然の雨でずぶ濡れになった(-30)
気になる子に話しかけられた(+80)
などなど、
どんな出来事に対しても心は揺れ動くでしょう。

トレードも同じで、
ルール通りに利確できた(+20)
ルール通りに損切りできた(-20)
この程度に収まっていれば良いんです。
どちらも心の振幅を0(ゼロ)にする必要はないんですね。

トレードもありふれた日常の一コマです。
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自分のトレード手法に確信を持っているかどうかが重要

では、どうすれば心の振幅を日常レベルにまで抑えることができるのか。

動いているチャートを凝視して、
最初に決めた利確位置に到達するまで絶対決済しないぞ!
とドキドキする気持ちを押し殺して、
マウスを握りしめ、ひたすら我慢していれば良いのか。

ストップにかかるかどうかヒヤヒヤしながら
絶対ストップの位置をずらして含み損を広げる事はしないぞ!
とドキドキする気持ちを押し殺して、
マウスを握りしめ、ひたすら我慢していれば良いのか。

こうした訓練?を繰り返しても
メンタルを鍛えたことにはならないです。

いや、鍛えられるかもしれませんが、
方向性が違いますし、効率も悪いです。

もちろん、先に書いたように、
修行をやる必要もないです。

まぁ、やっても構わないですが、
どれほどの効果があるかは分かりません。
私は経験したことがないので。

そんな事をするよりも、
もっと効果的で重要な方法は、
検証の繰り返し、デモトレードの繰り返し
です。

それによって、
期待値>1の手法ができた
という確信です。

つまり、
勝ち負けはランダムに繰り返すだろうが、
 最終的には大数の法則により利益が積み重なる
という確信です。

そうした確信を持てば平常心が得られ、
心の振幅も日常レベルに収まります。

例えば、
“サイコロを振って1~4が出たら1万円貰える。
しかし、5~6が出たら1万円損する”
というゲームを1万回繰り返しなさい。

と言われたら、
あなたがサイコロを振るたびにドキドキしますか?しませんよね?

大数の法則により最終的には勝つと確信するはずです。
それと同じです。

メンタルを鍛えるとは、
過酷な修行によって強靭な精神力を身に付ける
という意味ではないですし、
チャートを見て無理矢理気持ちを押し殺す
という意味でもないです。

トレーダーとして当たり前の行動を地道に繰り返すことが
最終的にはメンタルを鍛えることにもつながるんですね。